ビジネス寓話から学ぶ:信長・秀吉・家康から学ぶホトトギス経営
2021/01/01
戦国時代に活躍した三英傑と言われている戦国大名、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康。
三英傑を例えたホトトギスは非常に有名な話でみなさんもご存じではないでしょうか。
今回は「ビジネス寓話から学ぶ:信長・秀吉・家康から学ぶホトトギス経営」についてご紹介してまいります。
ホトトギスはそもそも誰が言ったのか?出所は?
まず、そもそもホトトギスは誰が言ったのか意外にも知られていません。
ホトトギスの提唱者は、肥前国平戸藩の第9代藩主の松浦静山で、明治天皇の曽祖父でもあります。
松浦静山は、江戸時代後期の随筆集「甲子夜話」を執筆し、信長・秀吉・家康の三英傑をあらわす表現として記しました。
甲子夜話とは
「甲子夜話」は「かっしやわ」と読み、その数はなんと278巻にもなります。
幕府の儒官である大学頭家の林述斎から「個人の善業、嘉言はこれを記し後世に伝えるべきである」と進められつくられた随筆集です。
1821年(文政4年)11月の甲子の夜に静山が執筆を開始したために「甲子夜話(かっしやわ)」と名付けられました。
藩主時代の田沼意次政権や松平定信が主導した寛政の改革の時期に関すること、執筆期に起きているシーボルト事件や大塩平八郎の乱などについての記述、社会風俗、他藩や旗本に関する逸話、人物評、海外事情、果ては魑魅魍魎に関することまで幅広く、文学作品としてのみならず江戸時代後期、田沼時代から化政文化期にかけての政治・経済・文化・風俗などを知る文献としても貴重なものとして残されています。
イカの墨で字を書くと1年くらいで文字が消えてしまうことからずるをすることを「イカサマ」と呼ぶこと、野村監督の名言である「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」も、静山の代表作からの引用です。
信長・秀吉・家康の三英傑のホトトギス「鳴かぬなら~」
「甲子夜話」に信長・秀吉・家康の三英傑を例えたホトトギスがあります。
夜話のとき或人の云けるは、人の仮托に出る者ならんが、其人の情実に能く恊へりとなん。郭公を贈り参せし人あり。されども鳴かざりければ、
なかぬなら殺してしまへ時鳥(ほととぎす)織田右府
鳴かずともなかして見せふ杜鵑(ほととぎす)豊太閤
なかぬなら鳴まで待よ郭公(ほととぎす)大権現様
このあとに二首を添ふ。これ憚る所あるが上へ、固より仮托のことなれば、作家を記せず
なかぬなら鳥屋へやれよほとゝぎす
なかぬなら貰て置けよほとゝぎす
信長・秀吉・家康の三英傑を例えたホトトギスはご紹介しましたように有名ですが、実はその続きもあったことはご存じでない方も多いのではないでしょうか。
鳥屋へやれよは売ってしまえということで、第11代将軍徳川家斉のことを描写しているといわれています。
貰っておけよはどうせ売るなら俺にくれ、という意味でその他大勢の人々のことを描写しています。
昔の人は偉かったのに、最近はすっかりお金、お金と拝金主義になり、田沼時代の世相を皮肉った歌といわれています。
静山が生きている間、江戸幕府の田沼意次が老中となったり、天明・天保の大飢饉が起きたり、晩年は大塩平八郎の乱があったり。全国が乱れ、財政が非常に苦しい藩があった時代でもありました。
まとめ
今回は「ビジネス寓話から学ぶ:信長・秀吉・家康から学ぶホトトギス経営」をご紹介しました。
わたしたちの会社では、経営層がどのホトトギスか、またどのホトトギスが働きがを高めるか考えてみるとまた違った見え方ができるのではないでしょうか。
働きがいを高めるうえで大切なのは、まずは経営層の意識と宣言からです。